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バリ島 旅行記 2002年10月

このページは現地で更新をした旅行記です。幾分間違っている部分もありますが修正せずに全文そのままにしています。 帰国後に作成したこちらも読んでください。


今回のバリは10月7日から13泊15日です。
いろいろ事情があって2週間と長めの旅行になりました。
ひさしぶりにガルーダで行こうと考えてましたが9月末から10月いっぱい関空発は満席状態(1ヶ月半前でも遅いんですね)PEXはもちろん通常価格の席も空いていない日が多かったです。(たぶん旅行会社の枠がほとんどなんだろーけど)ガルーダをお考えの方は早めの予約が必要なようです。
(仕方なく?)今回もJALで行くことになりました。
ホテルは...7日から7泊 「ジンバラン・ベイ・ヴィラス」  14日から6泊 スミニャックの「ザ・レギャン」
と、いうことでHPの更新をリアルタイムでやってみます。でも今書いているのが3日目の9日...どーなることやら


10月7日<第1日目>

ギリギリまで仕事に追われ、週末は徘徊老人?を危うく轢きそうになり、買い物帰りに1台前の車が(道路に出ようとして)接触事故を起こし、空港に(車で)向かう途中で黒猫が目の前を横切る... ちょっと今回の旅行は何かあるのでは?と思わせるようなことばかりありました。(ちょっとネガティブな内容で申し訳ない)少し弱気になっていたのか遺書もどき?まで書き残して出発となりました。 そーいえば出発までの2週間ほどは星占いも悲惨?で朝のワイドショーでは「今日は気をつけて」ばかり...
やっぱりねって感じで...まずは国内線(田舎に住んでいるもので関空までも飛行機使いました)お土産用にと思い100円ライターを30コほど持って行ってましたがセキュリティで没収。 「毎回持っていってるのに」と言ったところで許してくれるわけもない。
続いて関空で(これまたセキュリティ)うちの奥さんがバリで絵を描こうと持参していた定着液というスプレー缶が没収。ヘアースプレーと成分変わらないのにどうして?「日用品は認められているんです」と返事が... 散々ゴネたけどやっぱりダメ。スプレー缶を持参される方はヘアースプレーだと言えばOKのようです。一つ勉強になったけど腹の立つ!これも2~3回は持って行ってるのに、今回は運が悪いのかセキュリティが厳しくなったのか?
おまけに出発が20分ほど遅れるし...これ以上何かあったら機内で暴れてやるーと思ってましたが(今のところ)トラブルはこれくらい。この日唯一の良い事?はExitSeatが取れたこと。
飛行機は離発着ともに(そーとー)揺れてヒヤドキしました。前に座っていたスッチーさんに「下手な機長と組んだ時は緊張するんですか?」と失礼なことを聞きましたが「同じ人と組むことがほとんどないんですよ」とニコっと返されてしまいました。 JALは運転手も多いのか?着陸の時はどよめきが漏れるくらい機内中がヒヤッとしたんだけどね。動揺を隠して?いたしサービスもばっちりでした。(理由は聞かなかったけど成田発のクルーが急遽回されてきたそーです)
空港にお迎えの係員も遅刻せずに待っていてくれました。(何度か待たされたことがある)ホテルに向かう途中にスーパーマーケットに寄ってもらいビールやフルーツなどを買い込みます。
そーそー空港の両替レートは70ジャストでした。円安なの?
この日は関空で買っておいたお寿司を夕食代わりに...少し疲れていたのでグッスリ就寝となりました。


10月8日<第2日目>

今回泊まったのはジンバラン・ベイ・ヴィラス。ガイドブックにも載っていない小さなホテルでプリ・バンブーというホテルの1本南側の路地にあります。
2Bed2部屋3Bed2部屋の4つのヴィラがあります。(現在4Bedを建築中、来年1月完成予定だそーです)
スミニャックのヴィラスのようにキッチンのあるヴィラです。プールと庭はヴィラスに比べても小さく狭いのですが料金はヴィラスの1Bedの半額くらいです。(特別料金なので正確には書けません、申し訳ない)
夫婦2人で2Bedに...贅沢な空間です。
今のところゲストは私達を含む2組。到着した日から名前を呼んでくれています。(アマン系のよーに最高級リゾートじゃなくっても名前を覚えてくれるんだい)
レセプションスタッフは朝9時にならないと来ないし(守衛のお兄さんはいます)少しは不都合があるかもしれないけれどアットホームなサービスはとても居心地がいいです。(出会う顔ぶれがいつも同じだしね)
バイクのレンタルも(日本で出発前にメールで問い合わせしていた)1日7ドルだと言われ高いよーと文句言ってる?と今朝になって近所でレンタル屋さんをやってるオジさんを連れて来てくれて1日3万ルピーになりました。(まあこれでも少し高いんだけどね)
このホテルで驚いたのはニワトリの鳴き声。朝5時には大合唱が始まってます。(縄張りを誇示するみたいに?)バイクや車の騒音じゃないから(まあそれなりに)泣き声も楽しんでますけどね。 バリに来ていつも思うんだけど、どう見てもニワトリって放し飼いだよね。道路の方にまでノコノコ出てくるしね。あれって飼い主の所に毎日帰ってるんだろうか?私の中のバリ7不思議の一つです。

この日の夕食はジンバランのイカンバカール。ホテルから徒歩3分くらい、今回は店を吟味?して何軒か回ってみようと楽しみにしてました。
10軒ほど見て回って大ヒット!(たぶん今週の星占いは良くなってると思う)ANTARcafe(アンター)というお店で北側の一角にあるアユ・カフェ(ここは割りと有名なお店)の5軒ほど南側。
どの店も味も値段もあんまり変わんないよーって思ってましたが大間違い!いつも夫婦2人で40万ルピーくらい(ロブスターは食べない)ロブスターの大き目を加えると60万ルピーっていうのが私の中の相場だったのですが... このお店ではハマグリ・いか・カニを各1キロ、バラクーダ(たぶんカマスだと思う)を2キロ、ビール大瓶3本飲んで(毎回これくらい食べてます)何と24万ルピー!味のほうも今までで一番美味しかった。
何年か前のイカンバカールがまだ10軒くらいしかなかった頃は(よく覚えていないけど)たぶんこれくらいの値段だったと思います。でも今じゃあね...

イカンバカールの写真はガイドブックとかでよく見かけるので、ここではソースの写真をご紹介します。
下側から左がトマト、右が甘い醤油(と店員が言うけど黒糖みたいな感じ)上の左がサンバル(思いっきりスパイシー)右がニンニクです。ほとんどのお店でこの4種類が出てくると思います。
私たちがオーダーするときは「塩とコショウだけあとのソースは何も使わないで」と頼んでます。写真上の持参したキッコーマン醤油をたらすと抜群にウマイ(時もある)
イカンバカールのポイントは(まあそれほど大げさなことじゃないけど)「今日は夕陽が綺麗そーだな」と思った雲の少ない日の夕方5時までには店に着いておくようにすること。 時間的に少し早いんじゃないの?と思われるかもしれませんが(店を選ぼうと考えているのなら4時過ぎでもいいくらい) 客もまだ少ないうちにビーチに近い最前列の席をキープすることと、食事は明るいうちにそして満腹になったところでサンセットを満喫できる時間を逆算すると5時くらいってことです。
まあ騙されたと思って少し早めに行くようにしてみて下さい。


えーと、ここまで書いたのが3日目の水曜日です。(曜日は自分で確認するために書きました、もうバリ時間に溶け込まれようとしています)
雨は今のところ2日目の早朝に(バリでいうと屁みたいな)軽いスコールがあったくらいでガンガンに晴れています。朝夕は少し涼しくて過ごしやすいです。出発前にネットで天気予報を見ましたが今週は天気悪かったんだけどね。
これから出発されようとしている方は(まあ今のところ)大丈夫です。


10月9日<第3日目>

初日(昨日)の朝食はホテルで食べました。メイドさん2人がやってきて部屋にあるキッチンで作ってくれます。(7ドルでした)パンがとても美味しかった。
で、今日は外で食べようと思いガイドブックを頼りに行ってみることにします。ジンバランは静かだし夕陽の綺麗なビーチもあるし良い所なんだけれどカフェやショップの数は少ないのです。
思いっきり名指しするけどインターコンチ前のプリ・ロボック、ひどすぎる。店に着いたときに少し悪い予感はあったんだけど(これからは自分の直感を信じることにします)まず悪夢?はオーダーから始まった。 アメリカンスタイルの朝食を頼むと「今日はフルーツジュースがないので代わりのドリンク(コーラとかスプライト)を選んで下さい」と言われた。ん?フルーツがない?(昨日の仕入れがどーのこーの言ってたけれど早口だったし理解できなかった) 出てきた卵やパンも最悪!(何がどーだったか詳しくは書きたくない)ほとんど食べずに帰ることに...このレベルになると文句も言いたくない。
まあ、この日たまたまなのかもしれないけれど、もし行かれる方は要注意。他の客がいなければ迷わず他の店を探したほうがいいし、客がいるなら顔色?を見て食事するかどうか決めると良いと思います。
朝食は45000ルピーだったけど紙を上から貼って訂正してある。透かしてみてみると6500って書いてある。7倍も値上げしてんのかーって感じ...二度と行かない。 でもこの日のバッドな事はこれだけだった。あとはホゲホゲした良い一日だったので(今思うのは)悪いこともあるし良いこともある、それが人生だって思ってます。でもヒドかった...
今日行ったのは(噂の?)ドリーム・ランド・ビーチ。ジンバランからウルワトゥ寺院のある南に向かい12キロくらいかな、交番(ポリシーステーション)が左手にあって300mくらいで右手に石像のあるゲートが見つかります。
ものすごいファジーな道案内だけど道は1本しかないし他に書きよーがない。行けばわかるし行かないとわからない。途中にはゲーウェーカーもあるし(大きなガルーダの石像があるからすぐわかる) 高台からクタやヌサドゥアの街並みを眺めることもできるなかなか景色の良いところです。
実は交番で検問にあい止められちゃった。国際免許も持ってたし何の問題もなし。バイクで行かれる方はヘルメットをお忘れなく。
そして廃墟のようなホテル開発跡地を抜けていく(ニッコー・ホテルって話を聞いたけれど定かではない)ジンバランからバイクで45分くらいって聞いたけど、このゲートまでが15分で廃墟の中を30分走るって感じ、それくらい広大な敷地です。 途中で通行料を5000ルピーとられ(これはどう見ても勝手に徴収してるとしか思えない)着いた所は「バリにもこんな綺麗な海があるんだ」って青い海のあるビーチです。
サーフポイントらしくオージーでいっぱいです。写真じゃあ判らないかもしれないけれど波がすごく大きい泳げるビーチじゃないです。
みんなトップレスで日光浴してるって聞いたけど(残念ながら?)この日は見かけなかった。
カフェが数件並んでいるしボーっと海を見ながらのビールも最高です。ビーチでゴロゴロが大好きな方はぜひ足を運んでみてください。 小ビンタンが1万ルピー、軽食も7千ルピー前後(オージーの集まるところ割高な店はない)ホゲホゲくつろぎの場所ですね。本当にキレイな海でした。
ここまで来たから少し足をのばしてウルワトゥ寺院へ。ここも眺めの良い所でした。
うちの奥さんがサルのエサ(きゅうりの輪切りナイロン袋入り3袋)を買っていきましたが最初に見たサルが一直線に向かってきて2袋をぶん取られ、続いて来た2匹目にもう一袋をやられました。3分くらい持って歩けて楽しめたかな?ハハハ... 道行く人は木の枝を棒代わりに持って歩いている。サルにご注意、でもエサを持ってない限りは大丈夫なよーです。
この寺院で駐車料金を1000ルピー払っている時に係員から Where do you come from? Taiwan? シェシェ...と言われた。日焼けが進むたびに日本人と言われなくなってくる。 日本人に見られないことで得することもあるんだけど、ちょっと複雑な心境です。


この日の夜はニョマンのお家に遊びに行きました。
前回6月はガルンガン(クニンガンだったかな?どちらもバリのお祭りです)でお父さんやニョマンの兄弟たちに会えなかったけれど今回は皆さん勢ぞろい。楽しいひと時を過ごすことができました。
16日にお祭りがあるらしく呼んでいただいたので招待を受けることにします。ニョマン達と初めて会ったのはニュピでしたが、今回も同じようにバリニーズ・フードを用意してみんなで食べるのだそうです。楽しみです。 そー言えば、あのニュピのときは(せっかく振舞ってくれた料理を)ほとんど食べることができなかったけれど(現地食初めてだったし)もう大丈夫、今は何でもOKです。
ニョマンの兄弟は4男1女。今回は家族ごとに写真を撮って一人ずつ名前も聞くことができました。何度も遊びに行ってたんだけど家族構成とか名前とか正確に知らなかったのです。 ニョマンやタマンと話はしてるけど他の兄弟や奥さん達とはなかなかコミュニケーションとれなかった。でも(前回くらいからかな?)子供たちも慣れてきてくれたし(それまでは近づくだけでギャーギャー泣かれた)仲良くお付き合いをさせてもらってます。


10月10日<第4日目>

この日はサヌールへ。
ジンバランのパンシーに泊まった時に知り合ったバリニーズの女の子とメール交換をやってて(途中で少し途切れていた時期もありましたが)その彼女がサヌールにお店を持ったというので行ってきました。 彼女はパンシーのあとヌサドゥアのザ・バレでもレセプション・スタッフとして働いていたので泊まったことのある方は覚えていられる方もいるかもしれませんね。
場所はサヌールの北エリア、ラディソン・ホテルの交差点の反対側にケンタッキー・フライド・チキンがあるビルの1階でゲッコーというお店。何と、みたらし団子やドラ焼きなど和菓子のお店なのです。 1階は販売、2階はカフェになってます。みたらし団子3本とコーヒー2杯で22000ルピア。観光客相手ではなく(どちらかと言えばということですが)地元の人相手のお店です。
えっ!和菓子なの?って思ったけれど(実はこの次の日マニス・ウェディングのマリさんと話しましたが)狙いとしては大変おもしろいそーです。 抹茶アイスや抹茶シフォンといったデザートはバリの他のお店でも食べることができるけれど、団子とか(本当の?)和菓子は今までバリでは見たことがないそーです。 開店してまだ1週間だそーで、マリさんにお願いしてお祝いの花を届けてもらいました。
ホテルで出会った時はカワイイ女の子だったけど今じゃあオーナーさん。ぜひとも頑張って成功してもらいたいものです。日曜日がお休みだそーで、もし時間があったら会おうねと約束したのでまたご報告いたします。
この日の夜にマニスのマリさんとお会いして(ジンバランの南にあるバランガンという所にある)バランガンというホテルのレストランに食事に連れて行っていただきました。 デジカメで撮ってないので帰国して写真を載せたいと思います。高台から(山の上になるのかな?)ヌサドゥアやクタの夜景を望める絶好のロケーションですね。ランチも楽しいかもしれない。


10月11日<第5日目>

この日の内容は帰国して追記します。デジカメ忘れちゃって写真がないと説明しづらい?から...
で、代わりといったら何だけどまずバイクの話。
今は1日3万ルピアでレンタルしてますが「安い!」とのことでした。2万って所もあったけどバイクがボロなのかもしれない。ホテルに頼むと10ドル前後かな? インドネシアで車やバイクを購入すると(日本と比べて)3割増しくらいのお値段です。税金が高いからね。車やバイクを持っている人はリッチなバリニーズなのです。 電気製品なども日本よりずっと高額なものもある。何でもかんでも安いわけじゃあないです。びっくりするような値段がついている(これが本当のボったくり?)モノも中にはあります。
ガソリンは今回ホテルの近くで(瓶売りのお店)おじいちゃんがやってる所を見つけて4リッター5千ルピア。ひょっとすると1瓶が2リッター入っていると思っているだけでもっと少ないのかもしれないけれど、これは現地価格です。 たまたま寄った所がおじいちゃんのお店で言葉が通じず(これもたまたま通りかかった)学生風の女の子に「いくら払えばいいかな?」って尋ねたところこの金額になりました。ラッキーな現地価格だったのかもしれません。
(まあ危険なこともあるからお奨めはしませんが)バイクをレンタルしようと思っている方にはウィンドウ・ブレーカーなど持参されると良いと思います。ゴーグルもあるといいかな?日中は日焼け防止、夕方以降は走っていると寒いので防寒用です。 免許は必須(国際免許でOKだった)ヘルメットも限られたエリア以外はちゃんとかぶるよーに。後はご自分の判断です。実際走ってみての感想は日本よりも(ある意味)運転しやすい。急に車線変更したりする下手なおばちゃんや初心者マークもいなししね。 初めて見るとぶったまげるよーな交通だけど暗黙の了解的なルールはちゃんとあります。まあ個人的な意見ってことだけど...
次は、日本人はどこに?って話。
テラスってイタリアン・レストランに勤めるカデさんも言ってましたが...彼女は去年まで昼はレギャンにある雑貨屋さんで夜はレストランで働くとても働き者な女性です。 彼女に「日本人は今、旅行シーズンじゃないの?」って聞かれました。アメリカテロ以降に観光客が減って勤めていた雑貨屋さんが店を閉めたので今はレストランだけしか働くところがない。 そしてレストランも(特に最近)お客さんが少ない...もっと日本人にバリに来て欲しいのにと彼女は言います。
日本からの飛行機は常に満席状態、1ヵ月半前に予約しても飛行機が取れないこともあるくらいだ。日本人観光客は3泊とか短い旅行の人が多い。ツアーで観光地を巡りプラザ・バリやギャレリアに連れて行かれて買い物をすると、それで日程が終わってしまう。 街に出てくる余裕がないのかもしれない。(多少偏見があるかもしれないけれど)彼女に説明すると何となく?納得してくれたようです。
まだ1週間も経ってないから何となくってことだけど...街を歩く観光客が少なくなってるようにも思います。でも空港や道路を行き交う大型バスを見ていると観光客が減っているようには思えません。 たぶん観光客は集中しているのだと思います。


10月13日<第7日目>

今バリ時間で朝の11時です。昨日の夜23時頃、クタ・レギャンで爆弾による爆発がありました。サリ・クラブとパディーズそしてデンパサールのアメリカ大使館の3ヶ所だそうです。180人死亡で日本人数名も怪我をしたようです。 朝食を食べに入ったカフェで聞いた話ですので(現地放送のテレビニュースからカフェの従業員が教えてくれた)未確認の情報です。
実は昨日のこの時間に(ほんとーにすぐ近くの)チューブスというパブでメールで知り合った方と一杯飲んでました。ホテルに着いたのが(たぶん)11時30分過ぎだったので、おそらく10分くらいの時間差だったのではないかと思います。 土曜の夜だしクタの一番賑やかなエリアなので騒ぎは相当なものだったと思います。
(これはフォーシーズンズの日本人スタッフの方に伺いましたが)現在、飛行機に影響はないそうですがツアーを全部中止にした旅行会社もあり各ホテルに生存確認をとっているところだそうです。(日本人に関してですね) レギャン周辺は大がかりな検問をやっているそうでクタ方面には行かないほうが良いとのことでした。
(当然無事だから言えることですが)明日にでも現場に近づけるようだったら状況を確認に行ってみたいと思います。
とりあえず私たち夫婦(それに大阪のSさん)は無事です。

今バリ時間で14時です。
野次馬根性丸出しでレギャンまで行ってきて帰ったところです。JLレギャンの南への一方通行(ベモコーナーまで)区間は車両立ち入り禁止でした。やはり近辺は大渋滞。(でも検問はやってなかった) 私はベモコーナー近くにバイクを止めて歩いて現場まで...
左の写真はバウンティ前。道路に面したお店のガラスは粉々に吹き飛んでました。現場まで100mくらいあるけれど、このあたりのお店の多くが窓ガラスが割れたり壊れたりしてた。もの凄い爆発だったのでしょう。


左の写真が現場のすぐ近く、左手前の(壁が格子状になっている)所がマカロニクラブ。(この店も店内グチャグチャでした)この少し先のガン・ポピーズ2からテープが張られ通行禁止。
パディーズのビルと(たぶんその向かいのビル)が崩れ落ちてました。
昨夜はこのガン・ポピーズ2を入っていった所にあるチューブスで飲んでたのです。まだ23時前だったけど少し眠たかったので帰ろうと言ったのですが、もう一杯飲んでたらどうなってたんだろう? JLレギャンに(ちょうど写真の所)タクシーを拾おうと出てきたときに目の前に止まってたオレンジの(ボロボロの)タクシーのおじさんが声をかけてきて、まあ優しそうな人だったので「まあ、いいか」と思って乗りました。 いつもだったらオレンジや赤のタクシーには乗らないのにね。まあ偶然だとは思うけど、もしかしたら...と思うと今でもゾっとします。


左の写真がパディーズのビル。火事で燃えちゃったんだろうけど鉄骨部分だけ残ってます。
近くでいてた20歳くらいの日本人の女の子と少し話しましたが(彼女は割りと近くのホテルに泊まっているらしい)もの凄い音と振動だったそうです。怪我人の中に日本人もいるらしいそうです。 このあたりのことは情報がなくてまだ何も分かっていません。
付近の店は(ほとんどが)店を閉めていました。
ニューヨークのときのようにバリの旅行もキャンセルが多くなるのでしょうか?(無責任な言い方だろうけど)現場近くにしても緊迫感はありませんでした。まあ、まだ犯人も犯行理由も分かっていないからだろうけど
クタを離れてしまうと昨日までのバリそのままです。私も(たまたま朝食を食べに行ったカフェで)ニュースを見なかったら、昨日と同じようにホゲホゲと過ごしていたかもしれません。 (朝食を食べに出かけるときに)ホテルのスタッフからもクタで事故があって混雑してる...とは聞いたけれど、一大事が起こったような感じはありませんでした。(まあ今のところ...かもしれませんが)


凝りもせず2回目の現場です。16時過ぎです。左の写真はパディーズのある通りの東側。通りには人が大勢いて(昼過ぎ以上の人出)ポリシー以外にも軍隊?と思われる人たちがライフルを持ってウロウロしていた。 何かを待っている感じだったので近くにいるオージーに話しかけると「メガワティ大統領が来る」とのことでした。(デジカメでうまく撮影できなかったので帰国後写真を載せます)


1回目よりも現場近くまで行くことができました。これは悲惨!建物がない。昨日の夜までネオンが輝いていた街並みが一瞬で廃墟になっています。ホテルでTVを見ていましたが(こっちは死体だろうが何だろうがそのままTVに写ります) 本当に悲惨な状況です。ちぎれた手足を20本以上見たし、死体が山積みになっている映像もあった。
こういうことに一番縁遠い所だと思っていましたが(でも起こってしまった後で考えたことですね)悲しい話です。


10月14日<第8日目>

今日はホテルの移動日。スミニャックのザ・レギャンに昼過ぎに着いてから、マニス・ウエディングのマリさんやサヌールに(先に書いたお店の女の子)会ってきました。昨日のうちに電話でお互いの安否確認はすんでいました。私の知り合いの方で巻き込まれた人は(今のところ)誰もいません。


(うまく書けるかどうかわからないけれど)今までの事実関係や考えていることを書こうと思います。ずいぶん悩みましたが書くからには正直に書こうと思います。 これは自分の日記のような記録です。これを読む人がどう思うかは(申し訳ないけれど)私の問題ではありません。個人的な意見として読んで下さい。
写真は昨日の夜のジンバラン、イカン・バカールでの夕陽です。昨日の朝食の時に事件を知ってほとんど食べずに知り合いに連絡をとり、昼も食べなかった。 少し落ち着いて(お腹が空いていることに気づき)ホテルで働くスタッフが夜働いているというカフェに(仲良くなった彼女にぜひ食事に来てと言われていた)食事に行きました。
イカン・バカールで見た夕陽の中で最高のものだったし、今までバリで見た夕陽の中でもベスト3に間違いなく入る素晴らしい景色でした。
実は昨日の夜も(事故当日)メールで知り合った大阪のSさんとイカン・バカールで食事をしました。あいにく大きな雲が水平線にあり夕陽をほとんど見ることができませんでした。 12日のSさんは朝からツアーに出かけ夕方帰ってから一緒に出かけようと約束していました。イカンバカールに行くかケチャに行ってレストランで食事するか、まあ当日決めましょうよとメールで話していました。 Sさんはツアーでバロン・ダンスを見ていたのでケチャはもういいですということになりイカンバカールに行き、その後レギャンで買い物チューブスで一杯飲んで帰ってくることになったわけです。
昨日この写真の夕陽を見ながら(Sさんとは)今日来れば良かったのになと思いました。でも...
バロン・ダンスを先に見た人は「ケチャも同じようなものだろうから」と行かない人が多いけれどケチャは絶対見たほうがいい。今日はケチャを見に行って明日イカンバカールに行きましょう...と (たぶんいつもの私なら)言ったはずなのにどうしてあの日は言わなかったのだろう?でもケチャに行ってたら間違いなくチューブスで巻き込まれていたと思う。
チューブスでも1時間も座ってなかった。女子トイレが汚くて(流れなかったらしい)奥さん同士で「自分のが流れないのはいいけど人のを見るのは嫌」と冗談で大笑いしていた。 トイレが快適だったらSさんの奥さんももっと飲んでいたかもしれない。いつもならビール5本くらい飲んで映画とか見ているはずなのに、あの日は(今考えても)逃げるように帰ってしまった。 この日の映画はロード・オブ・ザ・リングとデンゼル・ワシントンがでてる(題名忘れた)2本で、土曜の夜だし映画も良かったから満席に近い状態ですごく混んでた。
先にも書いたけれど、いつもは乗らないオレンジのタクシーに乗って帰ったし、チューブスを出てからも(時間的にまだ早かった)もう少し買い物に行っても良かったのにね。 今考えてもいつもと違う行動だったと思います。結果的に運が良かったんだね。ともあれSさん夫婦を巻き込まなかったことにホっとしています。
テロというのは思想的な要素が含まれているものだと思うけれどバリ島のしかも観光客が遊んでいる店を爆破することに何か主張が通るのだろうか?単なる大量殺人・愉快犯だと思うのだけれど... 彼ら(インドネシアのイスラム)はアメリカ人も嫌いだけどオージーも嫌い。そしてバリの経済的な打撃も狙ったのだと、あるバリニーズが話していました。 宗教的なことや人種や思想的なことはあまりピンとこなくて分からないけれど、とにかく何か間違っているように思う。何かを主張して行動をとるなら(それが犯罪であっても)人を納得させるだけの根拠が必要だと思う。
ブッシュ大統領の考えに否定的だったけれど、それも仕方ないかなと思ってしまいます。まあ、そんな大局的な政治に絡んだようなことは私には関係ないけどね。
日本でいても安全じゃあない。アブないヤツに後ろから刺されるかもしれないしダンプにはねられるかもしれない。どうせ死ぬなら異国の地で土に返るほうがよっぽどマシだと思っています。 だから今でもバリにいるし、外務省の危険度が上がろうが(飛行機が飛んでいる限りは)またバリに行きます。


10月15日<第9日目>

朝起きてビーチを散歩していると沖のほうに軍艦発見!
ホテルの人に話を聞くと、アメリカだとかオーストラリアだとか聞く人によって言うことが違う。結局、双眼鏡でインドネシアの旗があることから警備の船(巡視艇?)と判明。  今年の6月にヌサドゥアで国際会議があったときもビーチ沖に同様の警備の船が停泊していたそうです。少し慌てたけれど、まあ冷静になって考えれば警備艇くらい出すよね。この状況なら。
所用がありデンパサールに行ってきましたがオーストラリア大使館や大きな寺院には多くの献花がありました。
日本では外務省の危険度レベルが上がり大手旅行代理店のツアーが中止されているそうですね。(まあ予想はしていましたが)でもバリは変わらず南の楽園です。


10月18日<第12日目>

写真は17日木曜日。現場付近の通行止めは変わらず、沿道には白い布が貼られ訪れる人たちのメッセージが残されています。被害のなかった店は営業を始めています。
マカロニクラブは大破。サーファーガールは(おそらく増築していた)北半分に被害があったらしく(でも)営業はしています。チューブスは電話をかけてみましたがクローズしているとのことでした。
日を追うごとに観光客の数は減っているようです。カフェやレストランに入ってもほとんど貸し切り状態でした。
木曜の夜にホテルで知り合った方と食事に行き(イカンバカールに行った)帰りに一杯飲める場所を探していましたが、インペリアルに続くJLアビマンユ周辺のパブは割りと客が入っていました。 ガドガドに行きましたが着いた9時過ぎにはビーチ前の席が満席状態だったのに11時に帰る頃には数組の客を残すだけになっていました。その時間帯を避けているのかもしれませんね。


バリに着いてからスコールは(2日目の早朝に小雨?はあったけど)一度もなく肌を突き刺すような日差しが照りつける暑い毎日が続いています。沖合いの巡視艇の(確か水曜から)姿はもうありません。
ザ・レギャンやザ・ヴィラスなど常に満室に近い人気のホテルでも稼働率は40%くらい、パドマは20%をきっているそうです。
バリニーズは変わらずのんびりと...と書きましたが(当然のことながら)彼らもすごく怒っているのです。土産物屋に寄ってもカフェに入ってもやはりその話になります。 私が10分くらいの違いで巻き込まれなかったのだと話すと、まるで自分のことのように喜んでくれます。
でも彼らは報復なんかは考えていません。
(巻き込まれた人たちには申し訳ないと思うけれど)今生きている人達のことを考えてしまいます。できるだけ早い機会にまたバリを訪れたいと思っています。


10月20日<第14日目>

とうとう最終日。今日の夕方6時にチェックアウト、帰国の途につきます。これを書いているのは朝の6時。いつも5時くらいに起きてメールチェックをして(6時過ぎにはすっかり明るくなっているので)朝の散歩に出かけます。
ホテルの稼働率を先に書きましたが、どうも今週頭のことだったようです。昨日のレギャンは10組(まあプールサイドでスタッフに雑談程度に聞いたので確かではないでしょうが)プールも貸し切り状態です。
昨日の夜、チューブスのあるポピーズ2レーンを通ってみましたがやはりチューブスは閉まっていました。チューブスが被害の西端のようでそれよりも西のお店は営業していました。 いつもは車や観光客で狭い路地をひしめき合いながら通っていましたが、今はバイク専用道路となり歩行者もまばらです。
観光客が戻ってくるには半年以上かかるのでは?という話も聞きましたが、意外とそんなにもかからないのではないかと思っています。 バリが大好きな人は世界中に大勢いるしね。(初めて行こうと思っている人は躊躇するかもしれないけれど)観光地化されて素朴さが多少薄れてしまったバリの一つの転機になるのではないかと期待しています。
今日も快晴のようです。これだけ暑い日が続くとスコールがとても懐かしくなります。ちょっとは雨降ってくれよと思ってしまいます。

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